「あ、ごめんなさい……」  無意識のうちに腕に力を込めていたのか、自覚していなかった夕貴はナミに謝罪すると、身体を離した。 「ったく何? 今度はプロレスで勝負しようっての?」 締められた腕を擦りながら、ナミは夕貴に冗談を言うと夕貴は慌てて否定し…… 「ふふふふ……」 「あははは……」 お互いは同時に笑い合っていた。  ひとしきり笑い終えると、 「で、加藤さんは何処に行こうとしてたの?」 ナミは夕貴の行き先を訊ねてみた。夕貴はナミの方を見つめながら、 「貴女に会いに来たんです。下司さん」 そう答えていた。 「わたしに?」 「ええ。気になったんで……」 「んと……とりあえず何処か座れる所に行こうか」  さすがに立ち話もどうかと思ったナミは、夕貴を連れ近くの公園に入り、ベンチに2人揃って腰を下ろした。 「話の続きだけど、わたしの何が気になったの?」 「えと……身体の事です。危険な倒れ方してましたし………」 そう言うと、夕貴は下を向いてしまった。 「ああ、その事? わたしもあの時は意識飛んでたし大丈夫……とは言い難いけど、とりあえず問題はないよ」 そう言いながら、ナミは右拳を握ってみせる。 「なら、いいんですけど……」 夕貴はナミ自身の口から無事である事を確認すると、次の話題に移った。 「あの試合……あたしは全力で挑みました。実力を出し切れたと思ってます」 「でしょうね」 「下司さんは……その、全力を出し切れましたか?」 「………は?」 ナミは思わず聞き返す。 「下司さんはあの試合、全力を出し切れましたか?」 再度同じ質問を繰り返す夕貴。何故だか分からないがナミはその質問に対し無性に腹が立ち、 「そんな事聞いてどうするの?」 語気を強めて夕貴の質問に答えていた。 「べ、別にどうする訳でもないけど。聞いておきたくて」 突然ナミの語気が強まった事に気付き、夕貴は (何か悪い事を言っただろうか?) とナミの顔を窺った。 覗き込んだナミの目は、冷たい何かを含んだ色を湛えて夕貴を見ていた。そう、まるで相手を軽蔑するかのような…… 「あの……」 「わたしが全力を出せたかどうかなんて、貴女には関係ないんじゃない? 現に貴女は勝って、わたしは負けたんだから」 「あ……」  ナミは冷たい視線を夕貴に向けながら、怒りの表情を見せていた。それを見た夕貴は言葉を失う。 「この世界、結果が全てなのよ。過程なんて評価して貰えない。そこに全力が出せなかったとか、体調が悪かったとか、そんなのは言い訳にもならないのよ」 言葉を続けるナミの目が、徐々に滲んでくる。 「もし全力を出し切ったと答えて、アンタは敗者にどんな言葉を掛けるつもりだったの?」 「……」 夕貴が目を背け押し黙っている間、ナミは奥底に眠っていた感情を、まるで吐き出すかのように吐露していた。 「お疲れ様、とか良い試合だった、とか言う気なの? アンタが、勝者のアンタが敗者のわたしにその口でッ!」  言葉を続けていくうちに、遂にナミの目から涙が零れ、頬を伝い始めた。先輩や部の皆、親にも見せなかった涙が。 「それとも“あたしは全力の相手を完膚なきまでに叩きのめした。やっぱりあたしは強いわ”って越に浸るつもりだったの? 冗談じゃないわよ! 勝者が敗者に 情けをかけるな!! 余計惨めになるだけなのよ……」  あの試合に負けた、その日からずっと溜め込んできた感情。 情けなさ、惨めさ、勝てなかった自分への怒り、自分を倒した相手への嫉妬、そしてそんなものを溜め込んでいる自分への嫌悪…… それらを今、ナミは全て吐き出した。吐き出してから、顔を両手で覆い大声で泣き出した。 「ごめん、なさい……ごめんなさい、下司さん………」 ナミの感情的な言葉を黙って聞き、そして人目も気にせず大声で泣くナミを見て、夕貴は激しい後悔と無神経だった自分を責めるように、目に涙を溜め、 『ごめんなさい』 と謝罪し続けるのだった。  外も暮れ、ナミがようやく泣き止み始めた頃、 「ごめんね……加藤さん」 ずっと謝り続けていた夕貴に、今度はナミの方から謝罪の言葉を述べた。 「え……?」 「加藤さんは別に悪くないのよ。ただわたしが我慢出来なくなって、あんな悪口みたいに言っただけ……なんだから」 ナミは、夕貴に八つ当たりのような悪態をついた事を反省していた。 「下司さん」 「こないだの試合はわたしの負けだけど……」 そういうと、ナミは目に残る涙を右手の甲で振り払い、 「次に試合する時は負けない。絶対に!」 夕貴に拳を向けた。 「下司さん………うん、あたし待ってる。また試合出来る日を」 差し出された拳……それを右拳でコン、と軽く触れさせながら、夕貴も再戦を誓った。  夕貴と別れ、ジムに行くと兄のような存在である植木と出会った。そこで、 「わたし、光陵(こうりょう)高校に行く事に決めたから! 強豪校なんでしょ? 今から腕が鳴るわ」 とだけ伝えると、ナミはジムを飛び出していくのであった。  〜〜終〜〜