医務室のベッドで、夕貴との試合に負けた事を漠然と理解したナミ。まだズキズキ痛みのある身体を横たえたまま、試合内容を思い出してみた。 1Rはナミが得意のラッシュで夕貴をダウンさせた。 2Rは夕貴に上手くロープ際まで誘導されてしまって、最後の方は軽く意識が飛んでしまっていた。 そして3R。途中までちゃんと打ち合ってた……ような気がするが……その辺りの記憶が曖昧で、気付いたらここで寝ていた。 (なんだ。結果だけ見たら惨敗じゃない……)  ナミは、少なくとも今まで公式試合に関して無敗……負けなしであった。 当然途中で試合に関する内容が混濁する事などなかった。 自慢だった。もしかしたら同年代の女子には負ける筈がない! とタカを括っていたのかも知れない。 しかし負けた。あの夕貴という少女には…… 「ねぇ。わたし、負けたのよね?」  少しだけ首を動かし、タオルを水で濡らして絞っている後輩に、試合の結果を訊ねてみた。 ナミにいきなり話しかけられた事に驚き、後輩は手に取ったタオルを思わず床に落としそうになったが、なんとかキャッチし、再びナミの額に乗せると、 「……はい。先輩は、残念ながら……」 下を俯きながら、後輩はナミの疑問えお肯定した。 「ナミ先輩は3R・1分31秒、RSC負けを喫しました。相手の左アッパーでダウンして、脳震盪を起こしてたみたいで……それでレフェリーはカウントを 取らずに試合を……」 後輩が辛そうに、だがハッキリと事実を話している間、ナミは無言だった。 「腕や脚とかも痙攣してて、リングドクターがすぐに担架の用意を………」 そこまで言うと、後輩は肩を震わせ嗚咽し始めた。 「先輩が担架に乗せられてる間も、向こうはレフェリーに腕を上げられてて……まるでお祭り騒ぎで………」 嗚咽が止まらず遂には両手で顔を覆い「悔しいです」と個人的な思いを吐露する。そして、 『ごめんなさい……』という謝罪の言葉も。  後輩は伝えるべき事を全て伝えたのか、ナミの寝ているベッドの横で肩を震わせていた。 ナミはその姿を見て、後輩を抱き寄せると優しく背中をポンポン、と叩いてやりながら、 (普通逆よね、この場合) どこか冷静に心の中で呟いていた。  ひとしきり泣いて落ち着いたのか、後輩は謝罪しながらナミから離れた。 その後2人は病院へ向かい、精密検査をする事となった。  数日後。顔中に絆創膏やら湿布やらを貼り付けたナミが、学校に登校してきた。 危険な倒れ方をしたものの精密検査に異常は見られず、翌日から殴られた後遺症で熱出し3日間。 持ち前の体力でそれもすっかり癒え、登校して来たのである。 クラスメイトたちがナミを迎え、準優勝という快挙を成し遂げた事を賞賛した。  そして放課後。女子ボクシング部室に顔を出したナミは、部員たちからは労いの言葉を、そして顧問からは試合当日に受け取る筈だった賞状とトロフィーを 受ける事となった。 女子ボクシング部で皆の練習を見守り、時には叱咤する。今は練習できない分しっかりと見守ってやり、練習が終わると皆にスポーツタオルを手渡してやった。  練習が終わると、ナミは顧問に挨拶しその足で所属している山之井(やまのい)ボクシングジムに向かった。 その道すがら、ナミはこの辺りでは見慣れないセーラー服の少女が地図を片手に歩いているのを見かけた。 ポニーテールに結った長い髪、ナミ同様顔に貼られた白い湿布、そして服の上からでも分かる程の盛り上がった胸。 (加藤さん?) 目に映る相手が夕貴だと理解すると、ナミは咄嗟に近くの建物の物陰に隠れてしまった。 反射的にとはいえ何故隠れる必要があったのだろう? とナミは思う。 試合の日、医務室で後輩に先に泣かれてしまった事もあってか、今日まで泣くような事はなかった。しかし、時間が経つにつれ悔しさ、情けなさは募るばかり であった。 (ああ、そういう事か……) ナミは、隠れてしまった理由を悟った。 (今会って声なんか掛けられたら、もっと惨めな気分になると思ったんだ……わたし)  それが、卑屈な感情であると理解はしているが納得は出来ない、とナミは思う。 わざわざ今出ていって惨めな気分になる事もない、とナミは夕貴が通り過ぎるのを待つ事にした。が…… 何故か夕貴はその場から移動する気配を見せなかった。 時折腕時計をチラッと見たり、地図と車道を見比べては回りをキョロキョロ見回したりするばかりである。 (もしかして……迷子?) 見ている限りでは道に慣れている風ではないし、そもそも彼女は他県の人間なのだ。 (ったく、しょうがないわね) 頭をポリポリと軽く掻きながら、惨めさ云々の暗い感情はどこへやら、ナミは夕貴に歩み寄った。 「どこに行きたい訳? 貴女は……」 ビクゥッ!  いきなり後ろから声を掛けられ、地図と向かい合って周囲に無防備になっていた夕貴は、驚きのあまり両肩を持ち上げ、手に持っていた地図を地面に落として しまった。 急いで地図を拾い、声の方へ振り向くと…… 「どうも、加藤さん」 目の前には数日前試合をしたナミが立っていた。 「し、下司さん……」 大会の決勝で下した、あの下司 ナミである事を確認すると、 ダッ! 夕貴はナミの元へ走り寄り、そして人目も気にせず抱き締めていた。 「ちょ、ちょっと!?」  まさか、こんな往来でいきなり抱き締められる事になるとは夢にも思わなかったナミは、夕貴の抱擁を振りほどこうとしたが、 「良かった……大丈夫そうで」 そう呟いた夕貴の一言を聞き、暴れるのをやめた。  どれ位の時間を抱き締めていただろうか。感動の抱擁のように思えていたナミだったが、次第に違和感を感じ始める。 ギュウウッ…… なにやら抱き締める夕貴の腕に力がこもっていくのを、ナミはその身を以て体験していた。 「痛たたた、痛い! 痛いって、アンタ締め過ぎ!!」  さすがに万力で締められるかのような感覚に、今度は本当に夕貴の腕を振りほどくのだった。 to be continued……